エアストリームのルーツは西部開拓時代の幌馬車
時は1931年のUnited Status of America。
Los Angelsの自宅裏庭で、自分で描いた設計図を基にキャンピングトレーラーを楽しそうに作っている男がいた。 彼こそがエアストリームの生みの親、AIRSTREAM社のオーナー・デザイナー、ワーリー・バイアムだ。
少年時代に見た幌馬車をどうにか改良して、“現代の幌馬車”キャンピングトレーラーを作れないものかと長年考えていた彼は、 それまで数々の設計図を書いてきていた。
また「キャンピングカーの作り方」なるものを発表したこともあったが、 実際に作るのは今回が始めてだった。 長年の夢が“形”になる喜びから彼は夢中でキャンピングトレーラー作りに取り組んだのであった。
1台目のエアストリームキャンピングトレーラーはこうして完成した。
丁寧なその仕上がりは、いまでも手作りにこだわっているAIRSTREAM Spiritの原点となっている。だがその外観は現在のエアストリームのような流線形ではなく、むしろ“車輪が付いた宇宙船”といった観さえあったが、 その1台目はすぐに売れてしまった。
これがエアストリームの始まりなのだ。
そして彼が作るエアストリームキャンピングトレーラーは作ればすぐに売れてしまうほどの人気となっていった。
1930年のなかごろになり、無骨なデザインは徐々に洗練されていったが、 ワーリー・バイアムはより快適な空間を生み出す試行錯誤を繰り返していた。 そして彼はその答えを何と飛行機の設計図に見いだしたのである。 飛行機の設計は、限られた空間で丈夫さはもちろん、重量や空気抵抗など様々な条件を満たさなければならないため、 流線形のフォルムとアルミ材で出来たボディーが考案された。 彼はそれをなんと贅沢にもキャンピングトレーラーに採用してしまったのである。
どんなにコストが掛かっても最良のものを作るという彼の職人気質、これもまたAIRSTREAM Spiritのひとつかもしれない。 こうして現在のAIRSTREAM社の基礎が出来あがっていった。
やがて時は第二次世界大戦。
アメリカといえども戦時中は戦闘機のためのアルミをキャンピングトレーラーのボディーに使うわけにはいかず、 軍需生産のため、やむなくエアストリームのキャンピングトレーラーの生産を中止。 かつて裏庭で幸せそうにエアストリームキャンピングトレーラーを作っていたワーリー・バイアムも否応なく航空機の生産に従事させられていた。
戦争が終わり、また平和な時代が来るとワーリー・バイアムは早速会社を再開。 しかしそんなある日、彼は自分が売ったほとんどのエアストリームキャンピングトレーラーが庭に放置され、 埃を被ったままだという事実を知り愕然としたのである。
せっかく良いエアストリームを作っても使わなくては意味がない。
エアストリームの本当の快適さも、使ってこそ、 その価値がわかるものなのだ。
そこで彼はエアストリームのオーナーたちでキャラバン隊を組織し、みんなで世界を旅してまわるという、 なんともユニークかつ壮大なアイディアを考え出したのであった。そして実際に1951年には自ら隊長を務め、 中米へのキャラバンに出発した。
エアストリームのキャンピングトレーラーは、まさに本領を発揮しキャラバンはみごと大成功。
彼の考えた通り、庭で埃を被っていたキャンピングトレーラーたちもメキシコ、 カナダへと毎年キャラバンに出かけて行くようになった。 これがエアストリームのオーナー・クラブの設立のきっかけとなり、彼の名前を採って、クラブの名前は “ワーリー・バイアム・キャラバン・クラブ・インターナショナル(WBCCI)”と命名された。 このクラブは世界各国に総勢1万7千人ほどののメンバーを持ち、毎年、7月4日のアメリカ独立記念日にインターナショナル・ ラリーと呼ばれる大会を開催するなど活発に活動している。
エアストリームは1936年以来アルミの外装をリベットでとめるというスタイルを一貫してきた。 デザインも時代を超越したざん新なデザインのため、1970年ごろまでは余りモデル・チェンジを行わなかった。
今でも1960年代の一番小型の“バンビ”と呼ばれるトレーラーに人気があるのは、 古さを感じさせないその完成されたデザインのためだ。
しかし、激しい時代の流れに逆らうことはできなかった。
1980年にAIRSTREAM社は、北米オハイオ州の大手キャンピングカーメーカーであったTHOR Industory社に買収され、 その子会社となった。そしてそれを機にモデル・チェンジが次々と行われていった。 サイズ的にも大きくなり、さまざまなオプションが加えられ、更に豪華になってきた。
また親会社のソアー・インダストリー社が買収したカナダのキャンピングカーメーカーの“オカナガン”というバン・ コーバージョンの基本設計を採り入れ、1989年から自走式の小型モーターホーム“B・Van”の生産を開始。 更に、流線形ではなく箱型に近い“ランド・ヨット”シリーズを発表。 このシリーズは以前からあったが、箱型モデルの出現と“フィフス・ホイール”と呼ばれるトレーラーは、 1989年型モデル・チェンジ以降のモデルである。
最高級キャンピングカーとして世界にその名が知れたエアストリーム
ワーリー・バイアムは、いつも”All the Comfort of Home” 、 いかに快適なキャンピングカーをデザインするかということを考えていた。 キャラバンで培った体験を元に、使う人の立場に立った工夫、改良が細部にまで施されている。 牽引して走行した場合のトレーラー自体の性能や安全性はもちろん、特に風の強い日に実感する、 牽引車の運転操作性までもが計算されている。 トレーラー内のレイアウトについてもひとつひとつ丁寧に手作りした家具を、使い勝手を考えたうえで設置しているし、 流線形ボディーが生み出す丸みのある空間の居心地は、なんとも落ち着けるものだ。
もしかしたら私たちの“Home”より快適に過ごせる空間かもしれない。
どんな気象条件においても快適であること。
それは日常生活の延長線上にキャラバンがあったワーリー・バイアム自身にとっては当然のことだったかもしれないが、 彼がキャラバンで幾日も世界中を走り続け、体で感じ取った信念でもあり、エアストリームのポリシーでもあるのだ。 実際に大量の水を吹き付け防水性を調べたりする厳しいテストを幾度も繰り返し、 パスしたものだけがエアストリームとして世に出ることを許されている。
ワーリー・バイアムは「丘の向こう側には何があるか見たい」といつも夢見ていた人であった。 そして世界中を自作のキャンピングカーで旅をし、最高に快適なエアストリームを作り上げていった。
彼が丘の向こうで見た夢の旅に私たちを誘い出すために…..。